エドワルドとラウラ、永遠の愛

両者はオプス・デイのスーパーヌメラリでした。医者のエドワルドは、病人への愛において際立っていました。ラウラは夫とともに、多くの人々に対して寛大に奉仕しつつ、喜びに満ちたクリスチャンの家庭を築きました。

エドワルド・オルティス・デ・ランダスリは、1910年10月31日にセゴビアで生まれました。マドリードで医学を学びました。

ラウラ・ブスカ・オタエギは、1912年11月3日にスマラガで生まれました。彼女は1935年にマドリードのセントラル大学(Universidad Central de Madrid)の薬学部を卒業しました。

その年、ラウラとエドワルドは初めて知り合います。6年後の1941年6月17日、彼らはアランツァスの聖母の古聖堂(el santuario viejo de la Virgen de Arantzazu)で結婚しました。

1946年、エドワルドは一般病理学の教授職を得ました。1958年9月には、ナバラ大学の新しい医学部に加わり、定年退職するまで同大学の医学部と病院で献身的に働きました。

ラウラとエドワルドは7人の子供をもうけ、喜びに満ちたクリスチャンの家庭を築きました。

1952年6月1日、エドワルドはオプス・デイへの加入を申請しました。しばらくして、1953年1月8日にラウラも自分の召命を見出し、オプス・デイに加わりました。

エドワルドは家庭での務めを大切にし、医師と大学教授としての仕事を通じて神を探しました。特に彼の病人への愛は際立ち、彼らの内にイエス・キリストを見ていました。エドワルドの周囲には平和と喜びの雰囲気が漂っていました。彼は1985年5月20日に聖性の誉れを持って亡くなりました。

ラウラの生涯は、夫と子供たち、そして多くの他の人々に対する非常に寛大な奉仕によって特徴付けられていました。彼女の行動は、堅固で深い信心から湧き出る、神と他者への愛に支えられていました。彼女は2000年10月11日にパンプローナで聖性の誉れを持って亡くなりました。

エドワルドの列聖手続きは1998年12月11日に開始され、ラウラの手続きは2013年に開始されました。

2015年6月22日、ラウラ・ブスカの生涯、徳、および聖性の誉れについての教区手続きが終了しました。現在、エドワルドとラウラについての資料と証言はローマの列聖省で審査されています。

この段階では、各人の徳の実践は別々に審査されます。ただし、両者の徳の英雄性が証明されれば、エドワルドとラウラ夫妻による取り次ぎによる奇跡を一つ証明するだけで、両者が福者として宣言されることが可能となります。

このようにして、ラウラとエドワルドは、列聖される可能性のある夫婦のリストに加わることができます。


ローマ教皇庁いのち・信徒・家庭省(Dicastery for the Laity, the Family and Life)は2022年5月に、結婚と家族への召命の美しさを聖性の道として示すために『Holiness in Families around the World 』(世界における家族の聖性)を出版しました。この本は8組の聖なる夫婦の生涯を紹介しており、エドワルド・ラウラ夫妻はその中の一組として登場します(幼きイエスの聖テレジアの両親、永井隆・緑夫妻、オプス・デイのトマス・パキータ夫妻も紹介されています)。書籍のPDF版(英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語)は、いのち・信徒・家庭省のウェブサイトからダウンロードできます。


ラウラとエドワルドの取り次ぎを願う私的信心の祈り

いつくしみ深い父である神よ、あなたは、神のしもべ、ラウラとエドワルドに、家庭や職業の務めにおいて、キリスト者の諸徳を生きるための豊かな恩恵をお与えになりました。どうか私もまた、この世において、彼らのように平和と喜びの道具となることができるようお助けください。あなたのしもべ、ラウラとエドワルドに栄光を与え、その取次ぎによって、私の願い(ここでお願いする)をお聴きいれください。アーメン。

主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱

(教皇ウルバノ八世の教令に従い、教会当局の判断を予想したいかなる事前行為をも行う意図のないこと、また、ここに記載された祈りは公的崇敬のためではないことを宣言します。)