聖ホセマリアの生涯-43

聖ホセマリアは、地方都市の学生と接触を持ち霊的な指導を与える計画を立てました。メンバーがいくつかのグループに分かれ、週末に汽車で別々の町に行くのですが、汽車も鉄道も戦争の後遺症が見られ、旅行には大変な困難が伴いました。

1940年10月。右端が高校3年生のマドゥルガ神父、その横が聖ホセマリア

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聖ホセマリアが、教会に仕えたい一心で、司祭、修道者、信徒の黙想会のためスペイン各地を飛び回ることができたのは、オプス・デイ内部の統治の仕事の一部をイシドロとアルバロに任せたからでした。新しい寮を通じての大学生の霊的な指導やバレンシアで行った黙想会などを通じて、新たにメンバーになる若者も増えてきました。彼らの霊的な指導を、聖ホセマリアはアルバロに任せていきました。

スペインの首都マドリードは国の中心に位置します。スペインには周辺に大学を持つ地方都市が散在しています。例えば、バルセローナ、サラゴサ、バレンシア、ビルバオ、バリャアドリードなど。バレンシア以外はまだオプス・デイのセンターはありませんでした。そこで聖ホセマリアは、これらの地方都市の学生と接触を持ち霊的な指導を与える計画を立てました。メンバーがいくつかのグループに分かれ、週末に汽車で別々の町に行くのですが、汽車も鉄道も戦争の後遺症が見られ、旅行には大変な困難が伴いました。

当時のメンバーは皆大学生か若い社会人です。その頃は、土曜日も午前中は仕事や授業がありました。そこで土曜の夕方に汽車に乗って出かけ、夜遅く目的地に着き、翌日の日曜日の朝から夕方まで彼らの泊まったところで、前もって連絡しておいた学生たちを集めて話しをする。帰りの汽車がマドリードに着くのは月曜日の早朝で、それから仕事場や大学に行くのです。

この多くの犠牲を伴った旅行を神様は寛大に報いてくださいました。この週末の旅行によって多くの学生がオプス・デイの精神を知り信仰生活に新たな刺激を受け、またこの理想が理解できそうな友人を連れてきたので、この活動から多くの新しいメンバーが生まれました。

日本でオプス・デイを始めたホセ・ラモン・マドゥルガ神父は1940年にサラゴサを訪れた聖ホセマリアと知り合い、後でメンバーになった人です。私事で恐縮ですが、私が神戸でお世話になった幼稚園のスペイン人のシスターは、サラゴサ出身でマドゥルガ神父とは同じ幼稚園だったということを、大学生のときに聞きびっくりしました。

尾崎明夫