聖ホセマリアの生涯-11

1930年6月、ホセマリア・エスクリバーは神から託された事業を「オプス・デイ」と命名します。

聖ホセマリア

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1928年10月2日、聖ホセマリアは神からオプス・デイを見せてもらうという超自然的な経験をしました。しかし、その後そのような神の特別の介入はぴったりとなくなってしまったのです。そこで自分でオプス・デイをどうするかと考えねばなりませんでした。

神父は以前から霊的なメモを残していました。1929年の暮れに「オプス・デイには女性はいない」と書いています。ところが翌年の2月14日の朝、神父がミサをたてていたとき、突然「オプス・デイには女性もいる」という神からの霊感を感じたのです。すぐに聴罪司祭(告解を聞いてもらっている司祭)に報告に行くと、「これも前のものと同じく神のものです」と言われました。この事件も、神父が自分の個人的な望みに従って働いていたのではないことを教えています。

聖ホセマリアは、神様から示された事業に名前をつけようとはしていませんでした。ただ時に応じて、「仕事」とか「事業」とか「使命」とか呼んでいました。しかし1930年の6月、聴罪司祭から「あの神の仕事はどうなっていますか」と尋ねられて、はっとしました。この名前、つまり「神の仕事」とは自分に託された事業を表現するのにぴったりではないか、と。なぜなら、その仕事は人間が考えついたことではなく神によって示されたものであるし、そのメッセージの核心は世俗社会の中で信者が各自の仕事をよく果たすことで聖人になるということだから。そうして自分が一生を開けた仕事を「神の仕事」(ラテン語訳でオプス・デイ)と呼ぶようになったのです。

しかし、大きな使命を与えられたにしても、聖ホセマリアの生活は相変わらずとても苦しいものでした。病人援護会での司祭としての仕事と病人や貧しい人々の訪問や世話の他に、家族を養うために法律の予備校で教え、また家庭教師の仕事も探しました。それでも家族に楽な生活をさせることはできませんでした。またこれらの仕事で時間と精力を絞りとられて、法律の博士論文を仕上げる時間が削られていきました。

もう一つの困難が当時のスペインの政治状況でした。カトリックの国でありながら、教会を迫害する勢力が目に見えて強くなっていたのです。