福者アルバロの生涯(1)

5月12日の福者アルバロ・デル・ポルティーリョの記念日を迎えるにあたり、福者の伝記から子ども時代のエピソードを紹介します。

ドン・アルバルのニュース
Opus Dei - 福者アルバロの生涯(1)

 『オプス・デイ属人区長・アルバロ・デル・ポルティーリョ司教の思い出』、子ども時代(本書第二章より)

 1977年7月のある日、昼食を始めたドン・アルバロは、食卓に一緒にいた人たちとの会話に気を取られ、いつもの野菜に加えて、気づかずにジャガイモ料理を自分の皿に盛ってしまいました。気づいたドン・アルバロは、ジャガイモ料理を、フロレンシオ・サンチェス神父とホアキン・アロンソ神父に分け与えました。そのことが、幼かった頃の母の言葉を思い出させました。午後の授業に間に合うために、アルバロは昼食を急いでとらなければなりませんでした。ある日、家を出る時に、母のためのデザートをつまみ食いすると、母はこう言いました。

「あなたの子どもたちも、あなたの口から食べ物をとってしまいますよ。」

初聖体の日

 当時は他愛なく思い聞き流していた母の言葉を思い出したのです。

 アルバロは1914年3月11日に産声を上げました。6日後に、アルカラ通りの一角、ちょうどグラン・ビア通りが始まる地点にあるサン・ホセ教会で洗礼を受けました。代父はホルヘ・ディエス・デ・ソリャーノ叔父、代母はマリア・デル・カルメン・デル・ポルティーリョ・パルド叔母でした。赤ちゃんには、アルバロ・ホセ・マリア・エウロヒオの名前が付けられました(この最後の名前は当時のスペインで古くから祝われていたその日の聖人です)。1916年12月28日には、コンセプション教会において、シグエンサ司教エウスタキオ・ニエト・イ・マルティン師より堅信の秘跡を受けました。当時のスペインでは、幼い子どもに早くこの秘跡を授ける習慣があったのです。

 1989年3月11日、75歳の誕生日にドン・アルバロはローマにある平和の聖マリア属人区長教会でミサを捧げ、説教の中で生涯を通じて神から受けた無数の恵みに感謝を込めて思い出しながら、第一にキリスト教的家庭に生まれ、そこで敬虔な子どもになることを学んだことを挙げました。母親からは「聖心と聖霊への特別の信心とカルメル山の聖母への特別の崇敬を学びました」と語りました。また「主なる神は、父が私のよい友達になることをお望みになり、そのおかげで悪い仲間を持つことがありませんでした」と付け加えました。

母親からは「聖心と聖霊への特別の信心とカルメル山の聖母への特別の崇敬を学びました」

 ポルティーリョ家で長年働いた女性メルセデス・サンタマリアは、アルバロは幼い時から人好きのする社交的な性格で際立っていたと回想しています。彼女は幼いアルバロをコンデ・デ・アランダ通りからレティロ公園の方によく散歩に連れて行きましたが、人々が子どもに見入ることがよくあり、彼に声をかける人は少なくなかったのです。声をかけられると、屈託のない答えを返し、もっと話してみたいという気にさせるのでした。この証言は、メルセデスのアルバロへの愛情を考えて少し値引きするべきかもしれません。というのも、ドン・アルバロ自身は、小さい時には恥ずかしがり屋で、それがために父親のように弁護士の道を進むことを諦めたことや、すぐに顔が赤くなったことなどを語っているのです。ひょっとしたら、大勢の人々を前に力強く話さねばならない時、このような思い出を紹介し、言い訳にしようとしたのかも知れなません。

 早い時期に少々重い病気が現れます。2歳か3歳の時に、リューマチを発症しました。そこで夕食の後、兄と姉たちには卵入りのミルクが入った大きなコップが与えられたのに、アルバロは薬を飲まねばならなかったのです。それで恨めしそうに、「兄さんたちはいいな。卵入りのミルクをもらって。僕には苦い薬だもん」とこぼしていました。それはサナトジェンというサリチル酸塩を混ぜた薬で苦いものだったのです。アルバロはこの病気になりやすい体質だったようで、おおよそ20年後、再びこの病気に悩まされることになります。彼を診察したのはグレゴリオ・マラニョン医師でした。妹ピラールはその薬の作り方を今でも覚えています。恐らく、あまりにも奇抜に思えたからでしょう。すり潰したニンニクをアルコールに浸し、その液体を数滴…といった具合だったようです。

妹と一緒に(1921年)

 ドン・アルバロは、幼い弟や妹の言葉遣いを直そうとしたことを思い出す時、よく笑っていました。妹ピラールか弟ペペが、幼児にはよくある間違いを犯した時、それを直してやるのでしたが、実は自分も堂々と間違ったことを教えていた、と。

子どもにはよくあるいたずらや悪ふざけもしていました。時には父親が彼に罰を与えなければならないこともありました。しかしアルバロはこっそり姿を隠しました。父ラモンがお仕置きをしようと、アルバロの後ろから近づき、もう一歩で彼を捕まえるところまでいった時、子どもは素早く食堂の大きなテーブルの下をくぐり抜けて逃げるということもありました。

父ラモンは毎日曜日、兄弟たちと一緒に幼いアルバロをミサに連れて行きました。

 父ラモンは毎日曜日、兄弟たちと一緒に幼いアルバロをミサに連れて行きました。コンデ・デ・アランダの家から目と鼻の先にある聖マヌエルと聖ベネディクト教会に通っていました。ミサが終わると、アルカラ通りを横切ってレティロ公園を散歩しました。公園の中で、ラモンは子どもたちにフライド・ポテトとサイダーを買ってやることもありました。妹のピラールによれば、アルバロは落ち着いた子どもで、朗らかで単純素朴、どちらかと言えば太っていて、その仕草は愛らしくにこやかで、彼が嘘を言ったのを聞いたことがないと言います。それでも、愛嬌のあるいたずらをしたり、もう少し大きくなると面白い冗談をよく言うようになりました。その信仰心はキリスト教的家庭では普通に見られるものでした。また、アルバロの最も目立った特徴は、「大人になってからも、幼少の頃から示していたあの純真さ、単純さ、そして、神を誠実に探し求める心を、魂の底で持ち続けた」ことだったとも言っています。



『オプス・デイ属人区長・アルバロ・デル・ポルティーリョ司教の思い出』。サルバドール・ベルナル著、中島貴幸監修。2014年6月25日発行。A5サイズ、389頁。

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