オプス・デイの協力者、短い証言の3

ウルグアイ、アメリカ合衆国、コート・ジボワール、ブラジル、フランス、スペインの協力者の証言を紹介します。

キャンプのための野菜

マヌエル・シッド・カルネロ

モンテビデオ(ウルグアイ)在住

引退するまで野菜商を営んでいた

八百屋をしていたころには、若者たちのキャンプの援助をよくしたものです。そのために、野菜の卸業者から安く手に入れてあげました。私は協力者になることができて、幸運だと思います。なぜなら、聖ホセマリアの精神に従って、たくさん、しかもよく働くように努め、教皇様を愛して彼のために祈り、聖母マリアに助けを求めるようになったからです。また、形成の手段が、政党や宗教や人種や経済的状況などに関係なく、あらゆる人たちに開かれているのも素晴らしいことです。病気にかかったときに、家族としての雰囲気を味わいました。センターに住んでいる医者が毎日診に来てくれましたし、他の人たちもよく気を配ってくれました。意識がなくなったときには、聖遺物の入った聖ホセマリアの祈りのカードを持ってきてくれて、そのときから快方に向かったのです。


カトリック教会への愛情のしるし

ジャナイハ・フェイス・ネルソン

ワシントンDC(アメリカ合衆国)在住

大学院で博士課程を履修中

毎日、オプス・デイの属人区長と、属人区の使徒職のために祈っています。また、自分の務めがゆるす限り、他の協力も時々していますが、今学期、私は大喜びしています。授業の数が少し減ったので、土曜日の教育プログラムの手助けをする時間ができたからです。私はカトリック信者ではありませんが、このような形で参加するこで、カトリック教会への愛情を示し、キリスト者の一致のためにも貢献していると思います。さらに、私自身も報われています。だって、教育プログラムで手伝っている女の子たちの進歩を見ることができるからです。彼女たちが成長すれば、私も成長するのです。


よきキリスト者となって、国をよくする

ナンジュイ・ジジ・ブライス・ボクラ

アビジャン(コート・ジボワール)在住

内部監査役として銀行に勤務

アビジャンにある、若い社会人にいろいろな形成を提供するニエレというセンターに協力しています。そこでは、社会人としてのスタートをきった若者たちのための、文化的、あるいはスポーツの活動を企画しています。私にとっては、十分とは言えませんが、オプス・デイを実現していくことを助けることになるし、受けている形成に感謝することにもなっています。さらに、キリスト者としての信仰生活を送るための形成を深めることもできます。よりよいキリスト者となることで、自分の国のためにも貢献しています。


世界をよりよくするための自由

ホセ・カルロス・ネヴェス・エピファニオ

サン・ジョセ・ド・カンポス(ブラジル)在住

農学者・農業研究

私が学んだことは、祈りと、仕事における模範と、自分のいる場で丁寧に話すことを通して、よりよい雰囲気を作り出すことに貢献できるということです。協力者になったことで、私は他人のために尽くすように励まされ、以前よりももっと自由だと感じることができるようになり、同時に世界を少しでもよくするために働く義務を感じるようにもなりました。この経験を、他の人たちにも伝えるように努力しています。なぜなら、それを通して、キリストがどれほど私たちを愛してくださっているかを知り、誰にでもある失敗や落ち度が自分にあるにもかかわらず、聖人になろうと努力し続ける意欲を持てるようになったからです。


ほんの少しのお返し

マリー・コレン

夫と三人の子どもと共にフランスに在住

私は八人兄弟の六番目です。幼いころから、オプス・デイの形成の活動に参加してきました。こうして受けてきたことを考えると、ほんの少しでもお返しをするべきだと思います。まずは、祈りをもって、そして家族の状況が許すときには、献金もしています。私は自分の仕事を通して、〈世界中の司祭のために〉という組織に協力しています。教皇庁立聖十字架大学で勉強する司祭と神学生への奨学金のための資金を募る団体です。私にとって、協力者であるということは、ある意味でオプス・デイの大きな家族の一員であるということです。受ける形成の手段を活用して、自分の生活、特にキリスト者としての生き方をより良いものにしようと、また、良き妻、母親となるように努力を続けています。


ゆるすこと

ハビブ・モウサ・ファルドウン

レバノン生まれのシーア派でアルバセテ(スペイン)在住

大学院生として博士論文に取り組んでいる

私はイスラム教徒です。友人から『道』もらい読みました。そして、オプス・デイに協力したくなったのです。私も他の人を助けることができると考えると、わくわくします。私はアルバセテにあるネルピオ・クラブのいろいろな活動を手助けしています。そうすることで、私が評価しているカトリック教会について知ることができました。自分がイスラム教徒であることは障害になりませんでしたし、私の人生をより豊かなものにしてくれました。多くの印象を受けましたが、中でも、ゆるすということです。それは、決して簡単なことではありませんが、私が学び実践していきたいことなのです。