聖ホセマリアの生涯-5

田舎の教会での仕事を終えてサラゴサに戻ってきたホセマリアを、サラゴサ教区から追い出そうとしている動きを知ったホセマリアは、家族を伴ってマドリードに行くことに決めました。

写真、エブロ川から見たサラゴサ。右側にピラール教会

二ヶ月の田舎の教会での仕事を終えてサラゴサに戻ってきたホセマリア神父には、解決すべき二つの大きな問題がありました。一つはお金の問題。母と姉と弟は極めて苦しい生活を送っていました。もう一つは法学の勉強。これは亡き父との約束であり、神父にとって大学での生活は楽しいことでさえありましたが、家族の状況を考えると一刻も早く課程を修了しなければなりませんでした。

司祭の仕事として旧市街にあった教会の手伝いの仕事を見つけました。それはその教会でミサや他の儀式を行い、様々な信者の会の指導という仕事でしたが、とても熱心に働いたので皆が満足しました。しかし、それらの仕事の謝礼は家族を養うのには不十分だったので、予備校での教師のアルバイトもしました。

これらの仕事をしながら、大学に通い、必要な科目をとって試験を受けていきました。彼は大学での生活にとても馴染んでいて、そこでは学生だけでなく先生たちとも友達になり、神に近づけようとしました。やがてホセマリアはサラゴサを去り、彼らと別れることになったが、彼についての思い出を鮮明に持ち続けた人がたくさんいました。ホセマリアの死後、ある人は「彼のいつも変わらぬ喜びが忘れられません。いつもほほえみを浮かべていました。鋭いユーモアのセンスがあり、友人に対してはとても寛大でした」と思い出を語っています。

家族の経済状態はいっこうに良くならず、ホセマリアはまとまった収入のある司祭の仕事を探していました。ところがこれが不思議にうまくいかないのです。教区の教会や修道院の仕事で空きが出るとすぐに応募するのですが、いつも誰かに先を越されてしまう。ホセマリアの友人の司祭から、教区でナンバー2の地位にあった母の兄のカルロス神父が彼を追い出そうとしていると知らされました。

ホセマリアは、この叔父の司祭にあるまじき不正な行為を神の導きと考え不平を漏らさず、その友人の勧めに従って、家族そろってマドリードに行くことに決めました。なによりもそこでは法学の博士号がとれるのです。そしてこのマドリードでオプス・デイが生まれることになるのです。