教皇を愛する

教皇フランシスコの訪日の準備として、聖ホセマリアが教皇への愛について残した言葉を紹介します。

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ローマ教皇への愛は私たちにとって美しい情熱にならなければなりません。ローマ教皇のうちにキリストを見ているからです。

『教会を愛する』30

あなたはもっと大きな愛と一層厚い敬い、さらに深い尊敬、徹底的な従順、今以上に深い愛を、この世におけるキリストの代理者、すなわち教皇にも示さなければならない。

私たちカトリック信者は、愛と権威の段階において、神と私たちの母なる処女マリアに次ぐ位置を占めるのが教皇であることを考えねばならない。

『鍛』135

神よ、御身が私の心に教皇聖下への愛をうえつけてくださったことを、心から感謝いたします。

『道』573

カトリック的、使徒的、ローマ的。ローマ的であることは非常によいことだ。 さらに、「ペトロに会う」ために、「ローマ巡礼」を望んで欲しい。

『道』520

日々、教会と教皇と聖座に対する忠誠心を増さなければならない。しかも常に一層深く神を愛する心で! (深い神学的知識から出る愛で。)

『拓』353

教皇の言葉は、心から受け入れてそれを実行に移す態度、すなわち恭順と謙遜をもって受け入れなさい。そして、それを人々に伝えなさい。

『鍛』133

教皇と司教が日々担う重荷のことを考えれば、彼らを敬い、心から愛し、祈りで助けるべきことが痛切に理解できるだろう。

『鍛』136

教導職

ローマ教皇への忠実には、明白に定められた義務が含まれている。すなわちまず自分が回勅その他の文書に表明された教皇の考えを知ること、そして全てのカトリック者が教皇の教え(教導)に注目し、各自の生活をその教えにあわせるよう、自らできる限りの努力を傾けることである。

『鍛』633

私たちの母なる教会は、堂々と愛を広めつつ、口ーマから周辺へと世界中に福音の種を蒔いている。あなたもこの仕事を世界中に広めるため協力するにあたり、全地が一つの群・一人の牧者となって一つの使徒職をするよう、〈周辺〉を教皇のもとに連れていきなさい。

あなたもこの仕事を世界中に広めるため協力するにあたり、全地が一つの群・一人の牧者となって一つの使徒職をするよう、〈周辺〉を教皇のもとに連れていきなさい。

『鍛』638

祈りと償いと行いを「皆が一つとなるように」という目的のために捧げなさい。すべてのキリスト者が一つの意志、一つの心、一つの精神をもつため、また、〈皆がペトロと共にマリアを通ってイエズスヘ〉、すなわち私たちみなが教皇と一致し、マリアを通ってイエズスのもとへ行くためである。

『鍛』647

マリアは常に教会を導き、教会がしっかりと一致しているよう助けて下さいます。したがって、マリア信心を持っているなら当然、神秘体の他の成員や教会の可視的頭である教皇聖下に一致しているはずでしょう。そこで私は、「総て、ペトロと共に、マリアを通してイエスヘ」と折にふれて繰り返します。教会の一員である自己を知り、信仰における兄弟たちとの結びつきを自覚すれば、私たちと人類全体を結びつける兄弟愛の本当の意味がよく理解できます。なぜなら教会は、全人類・諸国民iのためにキリストがおつかわしになったものだからです。

『知識の香』139

教会はカトリックであるだけでなく、ローマ・カトリック教会です。私はこのローマという言葉を昧わい、自らローマ的であると思っています。ローマとはカトリック・普遍を意味するからであり、私の愛すべき友であるシエナの聖カタリナが繰り返したように、地上における甘美なキリストすなわち教皇様を愛することができるようにしてくれるからです。

第二バチカン公会議の閉会にあたり、パウロ六世教皇はおっしゃいました。「理論的には、このローマ・カトリックの中心から手の届かぬ人はいません。全ての人々に届くことができます。また実際にそうでなければなりません。カトリック教会にとって遠くかけ離れて届くことのできない人などいないのです」。殉教者の血に浸されたペトロとパウロのローマ、キリストの救いをもたらす言葉を世界中に広げる大勢の人が輩出したこの中心地を、私は全力を挙げて愛します。ローマ的とは、排他的な態度を取ることではなく、真のエキュメニズムを示しています。それは心を大きくする望み、贖いに対するキリストの熱意をもって心をすべての人に開く望みのことです。キリストは、すべての人を最初に愛されました。すべての人を探し求め、すべての人を受け入れられたのです、聖アンブロジウスは簡潔ではあるが喜びにあふれた讃歌を残しました。「ペトロのいるところに教会がある。そして教会のあるところ、死は支配せず、永遠の生命が支配する」。なぜなら、ペトロと教会のあるところにはキリストがおられ、そのキリストこそ救い、唯一の道であるからです。

『教会を愛する』28