オプス・デイ属人区長ハビエル・エチェバリーアの帰天

オプス・デイ属人区長ハビエル・エチェバリーア司教は、12月12日(月)、グアダルーペの聖母の祝日の午後9時10分(イタリア時間)に帰天しました。エチェバリーア司教は、聖ホセマリア・エスクリバーの2代目の後継者でした。属人区長補佐フェルナンド・オカリスは、司教の亡くなる同じ日に病者の塗油を授けることができました。

ハビエル・エチェバリーア司教 (1932-2016).
「パドレの帰天の悲しみに、22年間に渡り属人区長として示してくださった、愛情と良き模範に対する感謝の思いが伴っています」(フェルナンド・オカリス神父)

オプス・デイ属人区長ハビエル・エチェバリーア司教は、12月12日(月)、グアダルーペの聖母の祝日の午後9時10分(イタリア時間)に帰天しました。エチェバリーア司教は、聖ホセマリア・エスクリバーの2代目の後継者でした。属人区長補佐フェルナンド・オカリスは、司教の亡くなる同じ日に、病者の塗油を授けることができました。

エチェバリーア司教は、12月5日、軽度の肺感染症のためローマのカンプス・ビオメディコ総合病院に入院しました。抗生物質による治療を受けていましたが、3日前に容態が急変し、亡くなる数時間前に病状はさらに悪化し呼吸不全により帰天しました。

属人区の規約が定める通り、属人区の統治は属人区長補佐フェルナンド・オカリスが引き継ぎます。また、規約の定めにより、オカリス師は1ヶ月以内に、新しい属人区長を選出する選挙総会を招集することになっています。この総会は3か月以内に開催され、選挙の結果は教皇により承認されることが求められています。

ハビエル・エチェバリーア司教は、1932年マドリードに生まれ、この町で聖ホセマリア・エスクリバーと出会いました。1953年から1975年まで、聖ホセマリアの秘書を務めました。1975年からオプス・デイの総代理を務め、1994年に属人区長に選出されました。1995年1月6日、聖ヨハネ・パウロ2世教皇により聖ペトロ大聖堂にて司教に叙階されました。 :1

属人区長の冥福を祈りミサを捧げるオカリス神父(カンプス・ビオメディコ総合病院の聖堂にて。早朝午前1時)。

司教の帰天後、総合病院の聖堂では、師の遺体のかたわらで夜を徹してミサが捧げ続けられました。

祈り、静寂、一致:オカリス師の言葉

オプス・デイの属人区長補佐フェルナンド・オカリス師は、属人区長の帰天を公表するにあたり、司教の帰天の様子について、「祈り、静寂、一致」に包まれていたと語りました。

また、「パドレの帰天の悲しみに、22年間に渡り属人区長として示してくださった、愛情と良き模範に対する感謝の思いが伴っています」とも語りました。

オカリス師は属人区長の永遠の安息のための祈りを捧げます.

オカリス師は、エチェバリーア司教の霊名の記念日であった12月3日にパドレ自身がオプス・デイの人々に語った言葉を紹介しました。「あなたがたを支えにしています。私には皆さんが必要なのです。私はいつまでもいるわけではありませんから。オプス・デイの属人区長は皆さんの手の中にいるのです。誰が属人区長になろうとも彼を支えてください」。

エチェバリーア司教の最後の様子についてオカリス師は次のように語りました。「パドレはグアダルーペのマリア様に祈っていました。一緒に祈っていた一人がパドレに尋ねました。『グアダルーペの聖母の御絵を見えるようにしましょうか?』パドレは答えました。『その必要はありません。たとえ見えなくても、マリア様が一緒にいてくださっていることを感じていますから』」。