属人区長の説教:世界が必要とする光

「キリストの光は罪の闇と死との間に道を開いていきます。キリストは復活されました」とオカリス師は述べる

記事・インタビュー・ビデオなど
Opus Dei - 属人区長の説教:世界が必要とする光

オーディオ(スペイン語、11分)

第一説教のリンク:最後の晩餐で一つになる

第二説教のリンク:主の新しい掟主の新しい掟主の新しい掟

第三説教のリンク:イエスは私たちの「弱さ」の鏡

日本語の訳

Lumen Christi!(キリストの光)、 これが夜の帳に包まれて始まる、復活徹夜祭の初めに、教会が私たちの耳に響かせる言葉です。

「キリストの光」。典礼に参加する人たちのろうそくに火を灯す間、この言葉を三度繰り返します。キリストの光は罪の闇と死との間に道を開いていきます。キリストは復活されました。これは一両日中に受けることになる喜びの知らせです。

今、カルワリオの暗闇が最後の言葉でないことが分かりました。ご受難の時、主に付き添った聖なる婦人たちは私たちのために復活の光に向かう道を開いてくれます。主の御体に防腐処理をするよう、聖なる婦人たちを駆り立てた愛に報いて、イエスは彼女たちを復活の喜びの伝達者になさいました。

復活の知らせは、人類にとって痛ましい現在の苦しみの時、聖なる婦人たちの場合と同じく、私たちにも新たな光を注いでくれます。聖パウロはローマ人に思い出させています。「キリストが御父の栄光によって死者のうちから復活させられたように、私たちもまた、新しいいのちに歩むために」(ローマ6,4)、主のご死去にあずかるのです。

私たちは、過去の罪や以前の過ちの重荷や生きるにあたり感じる種々の限界、現在のような困難な状況によって、縛られているのではないと、復活祭は告げています。だから、使徒聖パウロは繰り返し勧めるのです。「あなたがたも罪に対して死に、キリストにおいて神のために生きている者であることをわきまえなさい」(ローマ6,11)。

イエスのご復活を記念するにあたり、新たないのちを生きるよう招くイエスに応えましょう。

ところで、どのような新しさについて話しているのでしょうか。私たちの生活のリズムは、仕事、場所、いつもの人々など、同じことの繰り返しによって決まっています。ひょっとすれば、パンデミックのために外出できない今日この頃、特にそう感じたかもしれません。

復活祭の新しい意味とはどういうことでしょうか。それは、私たちの生活に映し出され、愛徳に生かされ、希望に支えられた信仰のことなのです。

聖ホセマリアは次のように指摘しています。「信仰のもたらすこの確信のおかげで、新しい光で周囲を眺め、すべてが以前と変わらぬままであるにもかかわらず、すべてが異なって見えることに気付きましょう。全ては神の愛の現れだからです

(『知識の香』144)。

そう、確かに私たちはイエスが日常生活において私たちの傍らを歩まれ、日常生活の真の意味と価値を発見させてくださることを、信仰によって知っています。信仰のおかげで私たちは家族の者の願い事、隣人への親切、孤独を感じる人の呼び声などの中で、おそらく私たちを待っておられるイエスに出会います。

愛の心でやり遂げた仕事はつねに尊く値打ちのあることを、私たちは信仰によって知っています。そのような仕事は御父への捧げものに変わるからです。今、多くのことがらが私たちの思うようにならないことに、また、自ら提案したことをやり遂げるにあたり、自力だけに頼ることはできないことに、気づいているかもしれません。ひょっとすれば、無力感に襲われているかもしれません。

私たちの家族と世界に思いを致し、逆境にあっても努力して仕事を続けるとき、復活されたイエスが傍らにおいでになることを思い出せば、力が湧いてくることでしょう。キリストと共に働くなら、たとえ期待通りの結果を得ることができなかったとしても、私たちの努力のすべてに意義があります。愛のために行う仕事はつねに天まで届く響きとなるのです。

聖なる婦人たちにイエスの復活を告げた後、天使は加えて言いました。「さあ行って、弟子たちに、特にペトロにこう言いなさい。『イエスはあなた方より先にガリラヤに行かれます。かねて言われた通り、そこで、あなた方はイエスに会えるでしょう』」(マルコ16,7)。弟子たちは、すべての始まりであった場所、数年にわたる宣教の間イエスと共に日々巡り歩いた土地に戻らなければなりません。

イエスは私たちにも同じ呼びかけをなさっています。ガリラヤに、私たちの日常生活に、復活の光と喜びをもって戻るよう、呼び掛けておられるのです。

フランシスコ教皇は数年前にこうお話になりました。「ガリラヤに帰るとは、何よりも、歩みの初めに神の恵みがわたしに触れた、発火点に戻ることです。わたしはこの火花から、今日の、またすべての日のために火をともし、兄弟姉妹に温もりと光をもたらすことができるのです」(2014年、復活祭徹夜ミサ説教)。困難に見舞われたとき、主が私たちの生活に現存なさっていることを思い出し、主に対する信頼の情を新たにするなら、どれほど役に立つことでしょう。

主の招きをお受けしましょう。復活の喜び ―苦しみと両立する喜び― の意味を幾度も考えましょう。イエスがお与えになる光をお受けし、私たちの生活の場でその光を人々と共に分かち合いましょう。

聖なる婦人たちのように、キリストが現に生きておられるという事実を、喜びに溢れて告げ知らせましょう。この確信が、日々の生活を満たすべき落ち着き、希望、愛に反映されますように。このために聖母マリアの執り成しをお願いしましょう。復活の日、戻ってこられる御子を思い、輝くばかりにお喜びになる聖母を眺めましょう。私たち一人ひとりにも その時が訪れるでしょう。忠実を保つならば、全能の神の力によって、私たちは常にキリストと共に生きるのです。