属人区長の説教:「マリアの友情」

オプス・デイ属人区長、フェルナンド・オカリス神父は、「友人たちがするように、相手の必要を察知して仕えること」をマリア様の生涯から学ぶよう呼びかけます。

「マリアの友情」

オーディオ(スペイン語、8分)

日本語の訳:

5月には、私たちの母である聖マリアに目を向けながら、いつも以上に聖母を思い出し、付き合うために、特別に力を注ぎます。実際に、私たちは聖母の人生の模範から、いつも新たに学ぶ機会を得ています。今は、「ソーシャル・ディスタンス(社会生活における人の距離)」を実践する特別な時期にあって、聖母は私たちがより良い友人になれるように助けてくれます。さらに、誰も孤独を感じることがないように、各自が人々に寄り添い、隣人になるように、私たちの時代を動かしてくれます。私たちの人生も、マリアの人生とおなじように、神との友情を通して新たに超自然的な強さを受け、そこから人間的な友情が生まれるのです。

聖なるロザリオを祈るたびに、このことを学びます。フランシスコ教皇は「5月の間、家庭でロザリオを祈ることの美しさを再発見するように」と呼びかけています。今、健康が危機に直面している中で、家族としてロザリオを祈ることは、教皇が言うように、「キリストの顔を母であるマリアの心と一緒に熟考する」ことにつながり、そのようにして、「霊的な家族としてさらに団結し、この試練を乗り越えるための助けとなる」のではないでしょうか。

また、ロザリオを一緒に祈ることは、家族の一致を高めることにもつながります。わたしたちは「聖徒の交わり」を通して、同じ母を持つ大家族のような全教会と霊的に交わり、ある意味で全人類が一つに結ばれます。また、友人を招待して一緒に祈ることもできます。相手によっては、オンラインでも一緒に祈れます。ある人にとっては、それが初めての経験になるかもしれません。

聖ヨハネ・パウロ二世は、ロザリオは「福音の要約」であり、マリア的かつキリスト的な祈りであると述べています。それぞれの神秘の中で、私たちは救いの歴史の瞬間を考えます。この観想から、友人どうしがするように他者の必要を発見し、もっと奉仕するという使命が新たに見出されます。

「我になれかし!」(あなたのみ言葉が、わたしに実現しますように)。聖母はこの言葉の後、いとこのエリザベトを助けるために急いで出発します。天使が指示したかどうか分かりませんが、神の全能のしるしとして、天使はいとこの妊娠を聖母に伝えました。いずれにせよ、マリアはエリザベトが助けを必要としていることに気づいたのです。そして、すでに神の母になったマリアは、 私たちがもっと寛大に自分を与え、見ず知らずの他人にも奉仕できるように、本当の愛と友情の模範を示してくださったのです。

歳月を経て、「カナの婚宴」でイエスに同行している聖母の姿を見出します。そこでも聖母は新郎新婦が必要としていることを最初に発見し、率先して行動します。友愛の情に照らし出され、他の人が気づかない取るに足りないようなことも発見するのです。

さらに後、御子イエスの十字架の傍らに立つマリアを観想しましょう。聖ホセマリアは、次のように私たち一人一人を励まします。 「聖マリアの強さに感嘆しなさい。十字架のかたわらで、悲痛の極みといえる悲しみを、剛毅の心で忍んでおられる。あなたも十字架のかたわらに立っていることができるためである」(『道』508)。聖母に助けを願いましょう。苦しみを目の前にしても聖母のように強くあれるように。特にこの時、私たちが真心のこもった友情で人々の助けと慰めになれますように。

イエスの復活後、マリアは主の受難の後に散り散りになった使徒たちを集め、彼らに寄り添って慰めました。

聖ルカは、聖母について次のように述べています。「(イエスに関する)これらのすべてのことを心に収め、熟考した」。マリアは祈ります。神との会話は観想であり、愛の交流です。それは神との友情です。そして、神との関わりの中で、福音書の様々な場面で見られるように、聖母は自分の考えをためらわずに言い表しています。例えば、天使に「私は男を知らないのに、どうしてそうなるのでしょうか」と応じています(ルカ1:34)。その後、神殿で御子イエスを見つけたときに尋ねました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(ルカ2:48)。カナの婚宴では、「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ2:3)と、見たままを単純率直に言って、イエスと分かち合います。他の場面でもは、聖母は主とのコミュニケーションに多くの言葉を必要としていないようです。神の時を待つ方法を知り、その間に「心の中で」物事を「観想」します。心の奥で神との深い友情と信頼が築かれている、これこそが祈りです。神は私たち一人一人と一緒にいたいと願っておられるのです。

マリアを通してイエス様のもとへ行きましょう。聖ホセマリアはキリスト教生活のために、しばしば次のような道を示しました。「マリアを求めるなら、イエスに出会うにちがいありません」(『知識の香』144)。聖母マリアに捧げられた巡礼地を訪問して「マリアを探す」ことは、多くのキリスト教国で伝統になっています。今年は、近くにある巡礼地に物理的に行くことができないかもしれませんが、インターネットの助けを借りれば、自宅からでも、別の方法でこの五月巡礼を行う方法を見つけられるでしょう。

私たちがロザリオを祈るとき、私たちはマリアと一緒にイエスのもとへ行きます。聖母のもとへ出かける度に、御子イエスのもとに私たちを導いてくれます。全能の歎願者であるマリアよ、わたしたち一人一人が神のお望みに忠実であるように、また不安定な状況のこの時も忠実でありますように。非常に困難で苦しい時を経験してきた聖母が、私たちを慰め、強くしてくださいます。神の計画を信頼して、私たちは友人や愛する人たちの支えとなり、真に自分以外の人々を愛することができますように。