新たなる〈地中海〉、内的生活のあり方を変える新たな発見

神は私たちの父であり、イエスは私たちの友人であり、聖霊は私たちの心に宿り、私たちには母としてのマリアがいます。これらの現実のそれぞれは、聖ホセマリアにとって「新しい地中海」であった。彼の発見は、今の私たちの内的な生活の風景を変えることもできる。

祈り、内的生活
Opus Dei - 新たなる〈地中海〉、内的生活のあり方を変える新たな発見

 「新たなる〈地中海〉」


はじめに

聖人たちの生涯は、夜の(とばり)が降りたときに道を照らしてくれる光です。彼らも同じような道をたどり、神の愛という目的地に着くことができたのです――わたしたちの命の源であり、わたしたちを永遠に抱きしめようと望んでくださる神の愛という目的地に。

 この本では、聖ホセマリア・エスクリバーの生涯、とくに彼がまだ若き司祭だった頃に発見したいくつかのことを中心に見ていきたいと思います。聖ホセマリアを知る多くの人たちが力説しているように、彼は夢中になって神を愛した人で、多くの人たちに「神の愛を深くきわめ、言葉と行いによってその愛を人々に示す」[1]よう教えました。わたしたちもキリスト者として生きる道を歩み始めたいと思います。

 ところで、内へと向かって行くこの道には、ひとつの特徴があります。それは、すでに知っている場所からまだ知らずにいる場所へと向かって行くものではありません、むしろ、すでに知っていること、明らかだと思えるようなこと、何度も聞いたことがあるはずのことを深めるところにあると言うべきでしょう。そのとき、実際に知っていたことなのに、今あらためて新たな力、新たな深みをもって感じ取ることができるようになった、そんなことを発見するのです。聖ホセマリアはこの経験を、思いもよらなかった仕方で目の前に開けてきた新たなる〈地中海〉という言葉を使って説明しています。たとえば『鍛』ではこう記されています。

 「内的生活においては、人間同士の愛と同じく辛抱が必要である。

 その通り、同じテーマを繰り返し黙想し、新たに〈地中海〉を発見する、つまり何かを再発見するまで頑張らなければならない。

 今までこの点をこのようにはっきり見ることができなかったのは何故だろうと、あなたは驚いて尋ねることだろう。答えは簡単。私たちはしばしば石のようになって一滴もしみ込ませず水を流してしまうからである。

 だからこそ、神の祝福に浸されるために同じ事柄について、実は全然同じではないのだが、幾度も思い巡らす必要があるのだ」[2]

「同じ事柄について幾度も思い巡ら」しつつ、そこにあるすべての豊かさに心を開こうとすることによって、「実は全然同じではない」ことを発見する。それが、わたしたちが招かれている観想生活の道なのです。それは海を航行するようなものです、その海は、一見したところ何も新しいことはなさそうです、わたしたちが日々見慣れている風景だからです。古代ローマ人は地中海のことをMare nostrum(われらの海)と呼んでいました。よく知っている海、彼らが共に生きていた海だったからです。聖ホセマリアが〈地中海〉を発見すると言っているのは、自分ではよく知っていると思っているその海に入ったとたん、思ってもいなかった広大な視界が目の前に開けてきたからです。そのときわたしたちは、シエナの聖カタリナのように、こう言うことができるでしょう、「あなたは深い海のようです、わたしが探せば探すほど見出し、見出せば見出すほど、わたしはあなたを探し求めるのです」[3]

 これらの発見は、神が望まれるとき望まれるような仕方で与えてくださる光にこたえるものです。一般的に、ゆっくりと考えることによって、わたしたちは主からくる光を受け入れられるようになります。「そして、最初は暗闇のなかにいたのに、不意に自分の顔を照らす太陽を見て、それまで見えずにいたものがはっきりと見分けられるようになった人のように、聖霊を受けた人は、光に照らされた霊魂によって自分を見出すのである」[4]。この本では、聖ホセマリアが内的生活において発見した〈地中海〉のいくつかを見直すことによって、聖ホセマリアと共に、「神の愛の深み」をきわめて行きたいと思います。

(ルカス・ブック)


1] 聖ホセマリア『知識の香』97〔精道教育促進協会、1978年、227ページ〕。

[2] 聖ホセマリア『鍛』540〔新田壮一郎訳、フェルナンド・アカソ訳監修、精道学園、1991年、135ページ〕。

[3] シエナの聖カタリナ『対話』167。

[4] エルサレムの聖キュリロス『カテケーシス』16・16。


記事:

1.「神の子の最初の祈り」

あいまに 「十字架を担うということは、キリストとひとつになること」

2.「イエスはわたしの親しい友」

3.「右の手の傷から……」

4.「話さないで、聖霊の声に耳を傾けなさい」

5.「マリアを通ってイエスに」

おわりに

 これまで見てきたように、いくつもの新たな〈地中海〉の発見は、聖ホセマリアの心を驚くほど大きく広げました。どのようにして彼は、主の手につかまりながら、少しずつ十字架の意味に気づいて行き、それによって自分が愛に満ちた父なる神の子であると感じるようになったのか。どのようにして彼は、すぐそばにおられるイエスの、親しい友としての愛を発見し、慰め主である神の愛に身をゆだね、自分の力よりも聖霊を信頼することになったのか。そしてまた、どのようにして彼は、霊的生活において、またこの地上での働きにおいて、徐々に聖霊の導きに従って行くようになったのかを、わたしたちは見てきました。つまり、聖ホセマリアは理解したのです、キリスト者としての生活の満ちあふれる豊かさとは、一連の務めを果たすことでも、あるレベルに達すことでもないと。それはまた、「特別な事業を成し遂げることでもありません。むしろそれは、キリストと一つに結ばれることです。キリストの神秘を生きることです。キリストの生き方、考え方、態度を自分のものとすることです。聖性の度合いは、キリストがわたしたちのうちで達する背丈によって決まります。聖霊の力で、わたしたちがどれだけキリストの生き方に基づいて自分の生き方を形づくるかによって決まります」1

聖ホセマリアの歩みに従って、わたしたちもまた神に願うことができるのです、これら内的生活の〈地中海〉に、よく知られていて……かつ広大な風景に、わたしたちを導き入れてくださいと。そうすればわたしたちは、「神の愛を深くきわめ、言葉と行いによってその愛を人々に示す」2ことができるようになるのです。この道ほど、急いで行くべき道……また美しい道は、ほかにないでしょう。

1 ベネディクト十六世、一般謁見、2011年4月13日[教皇ベネディクト十六世『女性の神秘家・教会博士』カトリック中央協議会司教協議会 秘書室研究企画編訳、カトリック中央協議会、ペトロ文庫、2011年、235ページ。なお、文脈に合わせて訳文を微調整した]。

2 『知識の香』97[前掲邦訳、227ページ]。